都市政治研究所ニュース・レターbQ9(付録)
『市政研究』140(大阪市政調査会刊)所収
体験的・議会改革論
分権時代にふさわしい自治体議会づくりのポイントを探る
長谷川俊英(都市政治研究所代表・堺市議会議員)
はじめに

 私は、1979年に堺市議に当選してから14年間、議員を務めたあと、93年の総選挙に無所属でチャレンジして次点だった。それを機に元の職場に戻ってサラリーマン生活を送るかたわら、「都市政治研究所」を主宰して、全国の自治体議員の皆さんとともに勉強を重ねてきた。
 本稿執筆にあたって「体験的議会改革」というテーマを与えられたが、私の体験は「堺市議会」という一自治体議会にかぎられたもの。しかも、10年も前から遡っての古い体験である。ただ、その14年の間に堺市議会は、「政治倫理条例」の制定や、議員の海外視察への「市民同行」という、過去に例をみない二つの事件を体験した。そしてこの事件は、結果として大きな議会改革につながった。本稿では、まず、その折の「議会改革」を振り返る。
 ところで、私が議員を辞めた93年には、衆参両院が「地方分権推進決議」を可決。以来この10年間は地方分権推進の期間であった。分権の受け皿としての自治体改革が求められたが、普通の市民の目で堺市議会をみていると、期待されるような改革が進んでいるようには思えない。
 この4月、10年ものブランクをおいてカムバックをした理由もそこにあった。復帰した市議会で早速取り組みはじめた改革実現への試みとその課題を整理しながら、いま、自治体議会が直面している改革テーマに言及したい。


1 「政治倫理条例」で議会改革を迫った市民

(1) 機能マヒの議会を救った市民活動
 私が議員になって3年目の1981年9月、学校建設に絡む収賄容疑で堺市議が逮捕された。ほかに職員三人と贈賄側の建設業者五人が逮捕され、すべての被疑者があっさりと罪を認めたため、翌年春までには有罪判決が確定した。ところが、職員はすでに起訴の時点で懲戒免職となっているのに、執行猶予付きの判決を得た汚職議員には辞める気配がない。市民から「辞職勧告を求める陳情」が提出されたが、市議会は「辞職勧告決議案」を否決し、居座りを容認した。市民の怒りは、当の議員だけでなく、自浄作用が働かない機能マヒの議会にもむけられることになった。
 「議員のリコールか、議会の解散を求めよう!」
 当然の市民感情だったが、当時、堺市の有権者数はおよそ54万人。解職や解散を求めるには、その3分の1(約18万人)の署名を、しかも1カ月の間に集めなければならない。不可能とさえ思えるハードルを前に住民たちが智恵を絞った結果が、「政治倫理条例」の制定を求める直接請求だった。これだと、有権者の50分の1、つまり1万人あまりで実現できる。
 堺市民が初めて体験する「直接請求」で集まった署名は、4万5730人。しかも、署名収集期間の最後の日に当該議員が辞職するというハプニングさえ生みだした。署名運動がはじまったころにはすべての政党がこの条例の制定に反対していたが、後述する議会審議を経過するなかで態度を改め、条例は可決された。果たすべき機能を見失っていた堺市議会は、市民の活動によって救われたわけだ。
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