立命館大学法学部に入学
市川房枝選挙で天王寺駅前の演説風景
仕事&住民運動
1964(S39)年 桃山学院大学産業貿易研究所に勤務 
1967(S42)年 結婚 (1970年に娘、1972年に息子が生まれました)
1968(S43)年 建設途上の新金岡団地に入居、堺市民となる。
1970(S45)年 団地新聞「こんにちは!」を仲間とともに創刊
1977(S52)年 新金岡親子剣道クラブ創設。会長を務めて現在に至る。(現在5段)
1979(S54)年 堺市議就任に伴い、学校法人桃山学院を公務休職
1994(H6)年  学校法人桃山学院に復職(大学企画調整課長、監査室参事などに就任)
2003(H15)年 学校法人桃山学院を退職(定年まで4年を残し、政治現場に復帰しました)
1964(S39)年 立命館大学法学部を卒業
入学の年、安保条約改定をめぐる国民運動に参加。
1941(S16)年 兵庫県明石市に生まれる。(かに座)
1960(S35)年 大阪府立清水谷高校を卒業
生まれ&学び
長谷川俊英のプロフィール
1979(S54)年 堺市議会議員に当選 (1人会派「非所属クラブ」を結成)
  当選直後から議員の公費海外旅行に反対。議会公開や情報公開のシステムづくりに取り組みました。

1980(S55)年 故・市川房枝さんの最後の参議院選挙で大阪事務所責任者を務める。
  「ひとくち100円のカンパ」「手づくり理想選挙」…市民が政治に参加する手法は、市川房枝さんに学びました。
1982(S57)年 汚職事件摘発→日本で初めての“政治倫理条例”の制定運動に参加
  住民の直接請求運動で条例案を提案。「51vs1」の議会内力関係を「80万市民vs51議員」に変えて成功。

1983(S58)年 堺市議会議員に再選
  政治倫理条例の制定を訴えて全国行脚。「国会議員政治倫理法」の試案で金権腐敗政治とたたかいました。
1987(S62)年 堺市議会議員に3選
  議員報酬お手盛りアップに反対し、増額分を返上し公選法改定後は供託。校長らのカラ出張を追及。
  インフルエンザ予防接種の危険性と問題点を指摘し、父母らの運動で集団接種の中止を実現しました。

1991(H3)年  堺市議会議員に4選  (運動仲間の女性とともに当選、2人会派を結成)
1993(H5)年  大阪5区(当時)から無所属で衆院選に挑戦 (8万4699 票を得るも、次点)
1994(H6)年  分権時代の自治体・議会改革めざし「都市政治研究所」を創設し現在に至る。
1995(H7)年  新人議員勉強会を発足。その後「自治体議員勉強会」と改称。
1997(H9)年  議員報酬アップ分の供託金285万円を堺市の福祉基金に寄付
  報酬アップ反対の意思を貫いた返上額は、受領拒否を含めて988万円余りになりました

2002(H14)年 長谷川俊英&都市政治研究所ホームページを開設
2002(H14)年 「地域活動の再開のワケと決意」を発表。
2003(H15)年 堺市議会議員選挙で8183票を得て第2位当選。堺市議カムバックを果たす。
2005(H17)年 菅直人さん(旧友)らと「団塊党」運動を始める。
2007(H19)年 政令指定市に移行後初の選挙区選挙で、トップ当選(7239票)
政治活動
 
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